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文字を書く民衆


 また江戸時代に作られた史料は、村方文書・町方文書といった半ば公的性格なものだけではありません。民衆が文字を書くようになったことこそ、古文書が大量に残された理由です。特に江戸中期には民衆においても継続的な「家」が成立し、生活水準が上昇するとともに、手習屋や寺子屋、郷学などの民衆教育機関が設立され、庶の子供たちの多くもこうした学校に通って、文字の読み書きと算盤や簡単な算数を習うようになりました。だいたい6、7歳から「奉公」に行く11、12歳ごろまで学ぶことが多かったようです。義務教育制度はなかったし、子供といえども貴重な労働力でしたから、農家の子供は農繁期には寺子屋にずっと通うことは難しかったようです。ただ寺子屋は一斉授業ではなかったので、「行けるときだけ行く」という臨機応変な学び方が可能だったようです。
 また多くの親が子供の教育に興味を持つようになったことも注目されます。夜、一家に一つはあんどんがあるようになりましたから、その光のもとで親が夜なべ仕事をしながら、子供に字を教えるといったことも行われました。

 こうした民衆の文字の獲得により、仕事のための帳簿や、先祖の法事や冠婚葬祭の記録、個人的な日記や紀行文、書簡など、いわば私的な史料が格段に増加します。裕福な百姓や商家のなかには、文人や知識人と交流して書籍や絵画を蒐集するいわゆる「蔵書の家」や、自ら文筆活動を行うような、地域文化の担い手もあらわれてきます。こうして江戸時代の史料は、豊かな内容と量を持つようになりました。

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