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Lingoyaのつぶやき

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lingoyaの研究 2

Lingoyaの仕事(年代順)

○『熊取の歴史』共著、熊取町、1986年 
修士一年のとき、バイト先の熊取町で書きました。考えればとんでもないことだが、古代後期・中世前期・近世後期・近代前期を執筆しています。ひや汗ものです。
○「明治初年における流通再編の試み-大阪総産会社の場合-」『社会経済史学』55-5、47-80p、1989年12月 
修士論文三部作の一つ。明治初年に大阪で生まれた会社を取り上げた。日本の近代化の過程で、あえなく潰れた民間の試みの一つを江戸時代に遡り、読み解いたもの。これの姉妹作もあるが、「そんな失敗した会社について何になる」といわれ(なぜだか、そういうことをよくいわれるのが正直腹立たしい)、お蔵入りになっています。いつかまた書き直したい。
○「近世大坂の大名貸商人-鴻池屋栄三郎家の場合-」『日本史研究』329、1-35p、1990年1月 
修士論文三部作の一つ。鴻池屋栄三郎という近世大坂の大名貸商人の経営を分析した。鴻池善右衛門研究へのアンチテーゼとして意識しすぎたかもしれない。ものすごい圧縮してありわかりにくいが、とにかく江戸時代を通しての金融の「流れ」というものを知りたいという気持ちが強かった。構造より変化、その点は今も変わっていない。
○「中原庄兵衛家『万留帳』の分析-資産家形成の一事例-」『待兼山論叢』24史学篇、1990年12月 
中原庄兵衛は近世大坂で十人両替もつとめた大両替。恩師が購入したたった一冊の帳簿から、何がわかるか、勝負した。やはり限界があったように思う。>
○「大根屋改革について」『ヒストリア』133、39-60p、1991年12月
大阪歴史学会の大会報告。大根屋というのは石田敬起こともいい、藩財政の改革家としてちょっとだけ有名な人物。偶然関係史料を池田市立郷土資料館で見いだした。おもしろいのは、大根屋が行き詰まった封建制解体の建て直しを、専売制ではなく民衆意識の誘導により行おうとしたこと。真性のアジテーターやと思う。>
○ 「住友長堀銅吹所跡から考える」『歴史科学』130、1992年10月 -」『歴史評論』511、1992年12月 住友長堀銅吹所保存運動の総括。時はバブル時代で、結局遺跡の上にビルは建ちました。都市とはどうあるべきなのか、ということをその頃よく考えました。
○「民衆と変革-華井老人、幕末維新の大坂を書く-」『歴史科学』128、17-28p、1992年5月
研究室に寄贈された難波家文書の中から、平野屋武兵衛ー号、華井ーが幕末に書きつづった記録を紹介しがてら、その複雑で流動的な政治的意識を論じた。幕末の民衆に「変革性」「反動性」を見いだそうとする研究にはもともと抵抗があったので、うれしかった。
○「大阪町人の経済意識-華井の見た幕末維新-」中部よし子編『大阪と周辺諸都市の研究』237-267p、清文堂出版、1994年1月
この頃には華井老人にほれこんでいた。本両替の別家奉公人としての経済感覚を探り、節制のとれた経済自由主義を発見しました。
○「水の都大坂」吉田晶ほか編『歴史の道・再発見』4巻、フォーラム・A、1994年1月 
大阪が水の都であることを放棄したことは、必然であったかもしれないが、最善であったとは思わない。
○『幕末維新大阪町人記録』共編、清文堂出版、1994年2月 
平野屋武兵衛の日記、記録、そして彼が筆記した流行歌の歌詞を収録しています。史料集を作るのと、武兵衛さん大好き。>
○「歌三味線の周辺」塚田孝・吉田伸之・脇田修編『身分的周縁』pp.461~483、部落問題研究所、1994年5月
平野屋武兵衛の歌三味線関係の史料を中心に、江戸時代の上方で行われた野上流地歌三味線について概観した。三味線と歌という芸能の担い手である盲人音楽家の自立を、素人弟子との関係のなかで探った。芸能を通して思いやりと尊敬をもって交流すること、身分や境遇をこえた人間の情や誠の追求すること、それは差別をのりこえる。正直なところ芸能史は守備範囲をこえているが、何となく当時の私らしくてお気に入りの作品。
○ 『日本の歴史を解く100話』共著、文英堂、1994年9月、258~265、304~307p
「江戸は「金」、大坂は「銀」でなぜ値段をつけたか」・「江戸のビジネスマンの世界とは」・「三味線はどのように普及していったのか」について執筆。
>○「近世大坂地域の稲荷信仰」『朱』38、89-98p、1995年3月
○『日本の歴史を解く100人』共著、文英堂、1995年9月、258~251、304~307p
「中井竹山」、「平野屋武兵衛」の項目執筆。
>○「銅商人と町-大坂屋久左衛門を例に-」『歴史評論』547、19-46p、1995年11月 
住友長堀銅吹所保存運動の副産物。住友につぐ銅商人であった大坂屋の経営を紹介した。初代マックのパフォーマで、吹所絵図を作成した。この関係で、秋田の阿仁に最初はなぜかベンツで、次には電車でゴトゴト行ったのがなつかしい。秋田での史料調査を生かすことはできなかったこと、銅の博物館を作れなかったことが心残り。PDFで見る
○「大坂本両替仲間の組織と機能-御用と商売をめぐって」久留島浩・吉田伸之編『近世の社会的権力』153-196p、山川出版社、1996年10月
流れとして歴史をつかみたい悪いくせがでて、近世を通した両替仲間の動向を扱ったので、無理が出て、とても読みにくい。自分としては、他にそういうものがないので、論争的なものよりそうした概説的なものがまず必要だと思った。金相場会所という権力から野放図な空間が出来て、それが膨張するさまを描き出したつもりだ。
○『日本史広辞典』日本史広辞典編集委員会編、山川出版社、1997年9月
○『難波家(平野屋)史料目録』、大阪大学日本史研究室編、和泉書院発行、1998年3月、編集および解題  平野屋武兵衛の記録をはじめとして貴重な文書を大学にポンと寄贈して下さった難波さんに感謝しています。整理して目録にできたのは、論文を書くことよりもうれしいことでした。解題は私の平野屋関係の研究の総括的なもので、一番よく書けていると思う。
○「近世後期の銭相場について」大阪大学日本史研究室編『近世近代の地域と権力』91-108p、清文堂出版、1998年12月
日頃江戸時代の日記類を読んでいて、気になった銭相場というものを扱ってみた。そもそも誰がそれを決めるねんと素朴な疑問から出発して、結論はますます紛糾したのみか。しかし銭相場が人為的で人間くさいものであることにまちがいはなく、数量経済学で数字のみ扱う危険を思った。私はやはり、文学部であるらしい。
○『新修池田市史』池田市史編纂委員会編、池田市、>共著、第一章第一節~第三節、第二章第一節、第三章第一節、1999年3月 
大学三年から史料整理などで関わり、ここ十年以上住んでいる池田市の市史の近世編の農村部分を執筆しました。一万石の小藩で昔ある人に「ごまめの歯ぎしりのような」といわれた麻田藩の歴史を中心に書いています。これは豊中市の教育委員会で嘱託のバイトをしていた貧乏院生以来のテーマです。準備期間が短くてとっても誤植が多いけど、私としては愛着のある地域について、愛をこめつつ自由に書かせてもらえて幸せです。>
○″Inari Worship in Early Modern Osaka〃in James L. Mcclain and Osame Wakita,ed.,OSAKA(New York: Cornell University ,1999),pp.180-212. 
アメリカの日本史研究者のみなさんとの交流の結果である。なぜかハワイに行ったのもなつかしい。なぜ稲荷か、というとお稲荷さんや赤い鳥居は昔からひきこまれるように好きだから。個人のせつない信仰が、権力による統制のなかで揺れ動いていくさまを、哀惜をこめて書いたつもり。論文を書きながら、たくさんのお稲荷さんを回り、何匹か肩にのせてたような気がする。
○「近世大坂地域の稲荷信仰」脇田修・J.R.マクレイン編『国際交流フォーラム近世の大坂』大阪大学出版会、pp.231-261、2000年1月
お稲荷さん論文の日本語バージョン。
○「大坂本両替仲間のデータベース作成に関する基礎的研究」甲子園大学紀要人間文学部編No.3(C)、23~56p、2000年3月
誰が本両替なのか。こんなこともホントはよくわかっていない。筋肉的労作でがんばりました。本両替リストが大学紀要でなければ許されないような分量でついている。ただし当然ながら発展途上。史料の危うさについてもコメントしています。
○史料調査報告「西桑津安楽寺の「本堂再建日記」について」伊丹市立博物館『地域研究いたみ』29号、69~75頁、2000年3月
○『大阪の歴史力(江戸時代人づくり風土記)』農産漁村文化協会、共編著、152~157、175~181、187~193p、2000年3月 
離婚騒動のさなかに、編集方針をめぐって農文協の下請けとトラブリながら書きました。論文をかけば辛いことも忘れられますよといった編集者の言葉はたぶんまちがっているが、研究者のリハビリはやはり研究することでしかできないのかもしれない。低成長時代の近世後期の大坂が達成した信用社会について共感をこめて書きました。これは高度成長に育ち、バブルがはじけたのを見た私の実感です。
○史料調査報告「豊臣時代の中村井をめぐる水論の史料について」 伊丹市立博物館『地域研究いたみ』30号、73~78頁、2001年3月
○「近世大坂の金融機能」学位申請論文、pp.1~416、2002年2月
これまでの成果のうち、近世大坂の金融機能に関する論文をまとめた。第一部は大坂本両替と銭屋の研究、第二部は領主金融を中心とした貸付の研究、第三部が非領国地域における貨幣流通の研究で、十章立て。いろいろ不満が残り、前途多難な感じだったが、これまで十五年の歩みとして感慨深いものがある。夜中に完成したときには泣きました。
○史料調査報告「大根屋改革と大鹿村-武田丈蔵氏所蔵史料の紹介をかねて-」 伊丹市立博物館『地域研究いたみ』32号、73~84頁、2003年3月
○「天下の台所の経済ランキング」林英夫・青木美智男編『番付で読む江戸時代』柏書房、共著、pp.354~365、2003年9月
江戸時代の両替に関する摺物、「両替手形便覧」と長者番付について考察しました。他の著者の書いていることとやや相違があるようで気になっている。摺物の史料的価値の高さと書誌的研究の必要性を主張したい。

 

○『大坂両替商の金融と社会』清文堂出版、pp.1~398、2003年12月
 いろいろ問題(と誤植、ゆるい日本語)は山積してますが、辛苦辛苦してやっとできた本です。表紙カバーの上下には、寛永通宝を掲げ「信用第一」を主張する、鶏肋窯特製「天下の台所」招き猫がいます。右の写真では、招き猫のモデルのまお猫が、特別出演。

内容 第一部大坂本両替と銭屋に関する研究
第一章大坂本両替仲間の成立
第二章元文改鋳と本両替仲間
第三章田沼期の金融政策と本両替仲間
第四章大坂における信用社会の成立
第五章銭屋と銭相場の形成について
第六章摺物史料に見る本両替仲間
第二部大坂商人と金融
第七章近世大坂の大名貸商人
-鴻池屋栄三郎家の場合-
第八章近世後期の大坂商人の経営と金融
第三部非領国地域における社会と金融
第九章摂津国豊嶋郡池田における貨幣をめぐる諸問題
第十章豊嶋郡農村の賃金とそれをめぐる地域連合
第十一章大根屋改革について
付表近世後期大坂の手形取り扱い商人

  ○2003年7月19日公開歴史講演会「時代を拓いた海商たち」記録「海をめぐる商業と金融ー和泉国日根郡湊浦の廻船商人史料を題材にー」堺古文書研究会編・発行『ややこし字20年』35~49p、2003年12月
堺古文書研究会の活動に敬意を表します。私は海辺で育ったので海の世界に憧れがあったが、新屋の史料に出会って、その愛は深まった。
○「近世大坂の信用社会-仲間・相場・手形-」道修町資料保存会『第11回道修町文化講演会』37~69頁、2004年3月
帳合取引について研究する必要がある。今後の課題大です。
○史料調査報告「「臂岡天満宮九百五拾年御神事」について」伊丹市立博物館『地域研究いたみ』33号、18~38頁、2004年3月
嘉永元年(1848)に伊丹の臂岡天満宮で行われた神事に関する記録を紹介し考察を加えたもの。口絵に絵の写真が載っている。宮座の神事・村の祭礼・一般客をみこんだ開帳という三重構造を明らかにした。お祭りが好きだ。
○科学研究費補助金(萌芽研究)「近世日本の金遣い圏と銀遣い圏の金融的関係について」,中川すがね著・発行,pp.1-46,2004年3月
○「寛文・延宝期の上方廻船-泉州日根郡湊浦の新屋の活動を事例に-」、甲子園大学紀要人間文学部編,No.7(C)、pp.23-44、2004年3月
堺古文書研究会の講演会で話したことを論文にしました。3月に発行されたことになっているが、嘘の皮で、実際に出たのは10月、抜刷は11月。紀要の出版を委託した業者がずいぶん安く請け負ったらしいが、全然なっていなかったという最低さでした。でも戦前の天皇制と同じで、誰も責任をとらない。内容は、17世紀後半の上方廻船の全国的な活動を明らかにしたもの。断片的史料をいかにして組み立てるかという点におもしろさがありました。
○ 「幕末の野間村に生きる-巽弥左衛門の農事日誌より-」、伊丹市立博物館『地域研究いたみ』34号、57~105頁、2005年3月
日記が好きである。それに農業にも興味がある。摂津の富農経営については膨大な研究史があるが、自分で一度分析したかった。ということで、摂津国川辺郡野間村の一富農の近世後期とりわけ18世紀後半の経営拡大と幕末の農業経営のありかたに関して長い長い史料紹介を書きました。論文にはなってないけれど、こうした叙述も必要なのでは。とえらそうに書いたが、痛感したのは農業についてあまりにも知らないということを猛省。江戸時代の農書を読んでみたが、当然のことながら初心者向きではなかったです、とほほ。
○『高砂市史』第五巻 資料編近世 高砂市史編さん専門委員会編、高砂市、>共著、第一章~第四章、第五章の一、ニ、四、五、六、第六章、解説、付図、2005年5月
はじめての自治体史の史料集。はじめてはしんどいけれど、いつでもうれしい。特に何年も何年もかかったなかで一度は市議会により予算がきられて難船しかけただけに、完成してほんとうによかったと思います。兵庫県高砂市は江戸時代には加古川河口の湊町である高砂や荒井、曽根、魚崎などの灘方と内陸のおか方が各々特徴ある発展を遂げて繁栄していました。でも現在に至る変貌ぶりが大きくて、江戸時代の史料は豊かといえない。といってもこれは高砂だけのことでなく、江戸時代の面影は現在決定的に失われつつある、というのが私の職業上の実感。そのことについて半ばあきらめと理解があり、半ばせつなく危機感があり。どうか先人の残した史料について興味を持ってくれる人が一人でもいたならばと思い、解説を書きました。注や補注も本来つけたかったほどではないけどつけています。さあて、次は本編だ。
○ 「真宗と憚-森本称名寺文書の紹介-」、伊丹市立博物館『地域研究いたみ』35号、37~51頁、2006年3月
伊丹森本の一真宗寺院に残された書簡などから、村の寺がどのようにできていったのかをさぐった。異端との関係や、禅宗に入門した息子のことなど、思いがけないドラマがあった。
○ 「岸和田藩財政-大根屋改革の前提として-」 平成14年度~17年度科学研究費補助金基盤研究B(1)研究成果報告書(課題番号14310159)『畿内譜代大名岸和田藩の総合的研究』27~42頁、2006年3月 
藤本清ニ郎先生を研究代表者に3年間で岸和田藩関係の史料をデジタル化して研究した。私の担当は財政。しかし財政というのはすべてにからむ、ということに気がついたときには、時間切れという有様だった。しかしこれまでの『岸和田藩志』などの史料の誤りを指摘できたこと、小藩の財政について麻田藩に続いてイメージをつかめたこと、は成果である。
○ 「南野了福寺縁起について」、伊丹市立博物館『地域研究いたみ』36号、頁、2007年3月
 行基さんに関連する縁起について紹介。楠の木で作られた仏像の由来は、猪名野の開発に結びつければおもしろいと思う。
○ 「「天下の台所」大阪を支えたものは何か」、『イグザミナ』238号、51~55頁、2007年7月
○ 「江戸時代大坂の問屋とその金融機能」『大阪商業大学商業史博物館紀要』8 29~55頁、2007年10月
『史学雑誌』の回顧と展望で、概説と簡単に片付けられてしまったかわいそうな論文。私としては、問屋の形態や荷受けから仕入れへの変化やその意味、それでもなおかつ荷受けが価格形成のために必要であったということを実証した論文で、宮本又次先生以来の研究だと思うんだけど。大坂川魚問屋の史料などを使って検討して、ウナギの蒲焼きの都市的需要が川魚の流通を変化させていったということを知った上でもなつかしい論文。大阪商大には史料の ことでしばしばお世話になっているが、論文を書きませんかと言っていただいたことでも感謝しています。
○ 「書評 石井寛治著『経済発展と両替商金融』」、社会経済史学会『社会経済史学』74-3、303-305頁、2008年。
○ 「消えた村の記憶・川辺郡小阪田村の諸事覚書日記」、伊丹市立博物館『地域研究いたみ』38号、頁、2009年3月。
 伊丹の空港造成のためになくなってしまった村の庄屋さんの記録の内容を項目にして紹介しました。いつか翻刻してみたい史料である。
○ 「適塾と大坂町人社会」、適塾記念会『適塾』42号、頁、2009年。
○ 「昆陽寺と村一鎮守堂文書・正覚院文書紹介」、伊丹市立博物館『地域研究いたみ』39号、頁、2010年3月。 昆陽寺に関係する多様な人々について紹介した。
○ 「大坂と摂津について(パネルディスカッション「近世後期の大坂と摂津・河内・和泉」記録)」、大塩事件研究会『大塩研究』62号、頁、2010年3月。
○ 「播磨上灘目東部の製塩業」、『甲子園大学紀要』37号、189~206頁、2010年3月。
兵庫県高砂市・姫路市の上灘目の製塩について、その生産と流通について基礎的研究を行った。上灘目の塩浜地域でも、村によりその盛衰には違いがあるということ、江戸前期には塩を江戸や日本海側にまで大型廻船で回漕していたことなどが成果。PDFで見る 2009年度紀要をクリックしてください。Lingoyaの論文は末尾です。
○ 高砂市史 第二巻(通史編近世)共著、高砂市、 2010年6月。
第一章第三節「幕府・諸領主の支配」pp.48-121、第二章第四節「一橋家領と福本池田家領の支配」pp.232-254、第三章第四節「漁業と魚の流通」・第五節「塩浜と塩の流通」・第六節ふねが結ぶ世界・第七節高砂市域の商業と商人・第八節名所としての高砂・九節「高砂市域の暮らし」pp.308-531、第四章第二節7「三浦迂斎とその時代pp. 709-719・第六節「高砂市域の芸能興行」pp.790-809、第五章第一節「東播五郡集会と高砂」・第二節「天保加古川筋大一揆」pp.812-846・第四節「幕末維新期の一橋家領と福本池田家領の支配」pp861-880。
とまあ、これだけ書きました。最初予定していたのより、かなりたくさん書きました。ボランティアです。全部でおよそ一冊の半分。おかげでこれまで気がつかなかった海の世界の魅力にとりつかれました。もともと瀬戸内海を見て育ったためでしょうか。
○ 「播磨国高砂湊の渡海船」、『新兵庫県の歴史』3号、pp.29-45、2011年3月。
瀬戸内海域で近・中距離の商品廻漕や旅客の輸送をした渡海船についての研究です。香川には「渡海(とうかい)」するという昔言葉があります。PDFで見る
○ 「播州高砂の「大蔵元」について」、『甲子園大学紀要』38号、pp.137-158、2011年3月。
播磨国加古川の河口港である高砂の大蔵元といわれる荷受問屋を中心に、近世前期の廻船による遠隔地流通から加古川舟運に経営をシフトしていったことを述べました。心ひかれるのは17世紀。史料が多いのは18~19世紀。
○ 「猪名川通船と船着場ー下河原と雲正坂下ー」、『地域研究いたみ』40号、pp.42-96、2011年3月。
猪名川に高瀬船を浮かべて商品を運ぶ通船の試みは江戸時代初期から繰り返されたが、そのねらいは時期により変化しています。下河原ー戸之内間の通船が許可されたのは天明4年(1784)の田沼政権期で、伏見船方役所の救済の意味がありました。その後も池田や伊丹といった在郷町とのせめぎあいにより、通船は紆余曲折をたどっています。これまでの研究からは少しだけ先に進めたと思うが、商品流通の側面は今後の課題。
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