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Lingoyaのつぶやき

Lingoyaの研究2

 

lingoyaの研究 1

私の専門とする研究分野は、歴史学、その中でも日本史、その中でも近世史、そしてその中でも金融史、という風にどんどん限定していくこともできるが、そういうのはちっともおもしろくないので、なるべく関心を広く持ちたいと思っている。歴史学の何でも貪婪に取り込んでしまえるところが好き。といっても、好奇心が強く、かなり自堕落なので、どんどん脇道にそれてしまうのがまずいので、フィールドと主たる分野は限定している。ただ今は、江戸時代を中心とした大阪とその周辺地域において、貨幣という「商品」の意味や、それが人間に与えた影響について考えている。船の世界にも興味がある。

江戸時代の大坂とその周辺をターゲットに、経済や文化が人間をいかに変えたか、という点に興味を持っている。江戸時代は平和な時代やと思われてるけれど、人間も社会も日々に変わる。革命じゃない、改革じゃない、少しづつ人間の考え方や行動様式が変わるその着実な変化こそ、大事なのだと思う。かっこいい戦国大名も新撰組も研究していないけれど、歴史はすごいおもしろいです(かっこいい戦国大名は少々好き)。

史料として古文書を取り扱う「古文書屋」である。近世古文書整理は私の原点であって、大好きだ。また史料保存は過去から未来へ受け継ぐべき責務だと考えている。

いくつかの市の自治体史や文化財関係の仕事に携わっている。地域というもの抜きに歴史学はできないし、また歴史学が地域に貢献できる部分も大きいと考えるから。というか、理論があっても土地や人々が見えないと、歴史学はできない。

歴史学は科学と芸術の中間にあるもの。外国の歴史書の叙述のすばらしさに憧れている。

これまでの研究遍歴はほとんど心向くままの流浪に近く、たいへん効率が悪かったが、楽しかったので、ほとんど反省していない。平野屋武兵衛や大根屋小右衛門といった大坂町人に時を隔てて出合い、地歌三味線やお稲荷さんや番付など、人間というものにいとおしさを感じて書いた論考も未熟ながら愛着がある。また大坂屋久左衛門という江戸時代の大坂で住友泉屋に次ぐ銅商人と出会い、それが縁で秋田阿仁や生野、足尾、多田といった銅山のあとを歩いたこともあり、研究は私の人生の道しるべでもある。

昨今の政治や社会状況には強い違和感がある。私は政治的な人間ではなく、組織や党派はとても居心地が悪いし、生活のなかの自分の感覚からしか発想できないタチである。だからこそ、ナチスへのレジスタンスのなかで、真に偉大な一人の人間として死んでいった大学者マルク・ブロックを尊敬し、共感する。そして大学図書館の隅に埃に埋もれた本のあとがきで、その著者がシベリア抑留から帰れなかったことを知ったときの、あの学びたいという痛切な思いをいつまでも忘れないようにしたい。

2003年12月、『大坂両替商の金融と社会』に修士論文以来の研究の一部に書き下ろしや修正を大幅に加えて本にした。この本に関しては無念なことや、もう少し早く出せばよかったという心残りがあるが、それでも本という形にしてよかったと思う。どんな研究でもそうであるが、最初から完成形のものはなく、最終的に完成形のものもない。不完全を積み重ねてこそ見えてくるものがあるのだと思う。その積み重ねの一つとして、私はこの本をいとおしく思う。

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