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武兵衛さんの大坂


目次

住んだところ 大川町の借屋 老松町の持家

商売繁盛 船場の本両替 道修町の薬種中買 永代浜の干鰯仲買 銅吹屋 中之島の蔵屋敷 廻船

おまいりする 曽根崎天神社 土佐稲荷 御津八幡宮 南の御堂さん 陶器神社 法善寺  阿弥陀池和光寺 お稲荷さん 玉造稲荷社 真田山三光神社 今宮戎 安井稲荷社 四天王寺 高津宮 生玉(生国魂)神社 大江神社 愛染院 広田社 堀越神社

物見遊山 大坂城 道頓堀の芝居 御霊神社の芝居 仁徳天皇社の芝居 座摩社の噺 新町 産湯稲荷と味原池

歩く 口縄坂

ちいと寄り道 毛馬 住吉神社お田植神事 池田

その他 適塾 天王寺公園 新世界


江戸時代の「大坂」は、今の大阪市はもちろん、大阪市の中心部よりも小さくて、JR環状線の内側にすっぽり入ってしまう。行政的には、例外はあるが、淀川・大和川の支流である「大川」より北の「天満組」、船場の北部あたりの「北組」、そしていわゆる「ミナミ」の「南組」という「三郷」に分けられていた。武兵衛さんは、天満に住んで、船場を中心とした「北組」で仕事をしているが、しばしば「南組」や大坂近郊にも遊びやおまいりに出かけている。もちろん、地下鉄もなにもなく、駕籠はきらい。江戸時代には縦横に走っていた堀川を船で行くときもあったがそれは例外的。たいていどこへでも歩いていく。まあ一時間も歩けば、どこへでもいけてしまう、ゆったりのんびりした生活空間だったわけ。

 今、近世の大坂のなごりはほとんど残っていない。堀川で地上に残っているのは東横堀と道頓堀だけで、近代のなつかしげな町並みや長屋なども消失しつつある。近代の大阪は工業・公害都市となり、労働者が流れ込んで粗悪な住環境が形成された一方で、古くから大坂に住んだ人々の多くは郊外に住宅地を求めて出ていった。こうしたいびつな近代を、今の大阪はひきづっているわけだ。もう一度、人々が住みたい町となること、それが大阪活性化の第一歩ではないだろうか。